推しメンの写真集に関しまして
推しメンの写真集が出る。
最高に嬉しくもあるが、それは少し複雑でもある。
なぜなら、俺が推している坂道グループが写真集を出す=水着やランジェリーショットが絶対にあるということだからだ。
そもそも、坂道グループとは"清楚"を売りとしたイメージカラーを持っている。
反対に、AKBグループ等は雑誌やMVでもなんかでも水着になったりする。
そう、そんな清楚を売りにしているだけあって、あまり見せないものを見るとなると、少し複雑な気持ちもあって、見るのに勇気がいるのである。
推しメンを純粋な目でしか見れないオタク達にとって、それは自分との勝負である。
推しメンを純粋な目でしか見れない自分VS推しメンを性的な目で見てしまう(かもしれない)自分
まさに令和のほこたてが始まるのだ。
世の非オタの皆様は、どうせ推しメンで毎日抜いてるんだろなんてアイスボックスくらい冷ややかな目で見るだろうが、実にオタクと言うのは2種類いる。
推しメンでも鼻息荒くして抜く雑食ヲタクか、いつもAVでしこたま抜いているはずなのに、なぜか推しメンでは抜けない(いや別に抜きたくもない)ピュアなオタクの2つである。
どちらが良い悪いの問題ではない。
確かに倫理観を持って見ると、そりゃ前者は薄汚く、いやドブのように汚く映るかもしれない。
だが、彼にとっての推しメンは性的な目で見てはじめて成り立つ推しメンなのかもしれない。
そのオタクの言い分もわかる。
女が性的に見られると言うことは、女という生き物にとって最高の名誉でもある。
だがそれは俺にとって想像の域でしかないから、わからないのだが。
後、絶対フェミニストにこんな事言ったら殺害予告来そう。
兎も角、それを全て引っ括めても、推しメンのソロ写真集発売というものはなんとも喜ばしいことだ。
写真集を出すと言うことは、ある程度グループ内で人気のあるメンバーである裏返し。
それを応援するヲタクにとってはこれ以上ないヲタ孝行である。
それに坂道オタクあるあるとして、喜ばしいことだけど複雑なこととして、写真集発売と卒業の二枚看板があるのだ。
ヲタクとは親や恋人、友達などたくさんの目線で推しメンを見たりする。
あんなに芋臭かった娘が、こんなに垢抜けて成長して、写真集まで出すなんてとか思ったら、いつも近くにいたアイツがどんどん成長して俺とも話さなくなっていく寂しさに想いを募らせたり、○○頑張ってるなあと違う世界でも頑張っている推しメンを見て、背中を押してもらえたりする。
俺が彼女を初めて見たのは、最終オーディションに見事合格して、証明写真が発表されたその日だった。
一目惚れだった。
これが恋愛感情なのか、推し感情の一目惚れだったのか。
それはわからない。
けど、確実に雷に打たれた。
そんな感覚が何日も襲った。
この子はずっと推していこう。
そう決めた、いや決めたと言うよりかは、彼女が俺をそうさせたのだ。
そんな彼女もこの数年で幾度の挫折を経験してきた。
それはこんな自分が文章にして書くのも烏滸がましい程に、辛くも険しいものだったと思う。
改名に伴い、デビューシングルから4作連続でセンターを務めた。
無慈悲な批判もあったし、心配が勝った。
元気がない彼女を見ては、同じことのように辛くなったりもした。
数年とは言えど、色んなものを失い、得た。
それはお互い様である。
よくアイドルが言う言葉がある。
「すべてはファンの皆さんのおかげ」
ヲタクになる前の俺は、そんな見え透いた嘘に感動するオタクもバカだよなあと思っていた。
アイドルなんて歌も下手くそな癖に何が出来るんだなんて思っていた。
録画していた音楽番組でも絶対飛ばしていた。
そんな揶揄していた側の自分が、今度は揶揄される側になってしまった。
それでいて「すべてはファンの皆さんのおかげ」と言う言葉に救われてもいた。
皮肉なものだ。
更に皮肉なこと言っても良いですか?
俺はあなたの応援の一部になれて本当に良かった。
1ミリたりとも、その気持ちはブレなかった。
飽き性である自分が音楽と文章の次に出来た、最上級の好きなことです。
俺の好きな歌詞の一節を紹介して、このブログを締めたいと思います。
いつか君を見つけた時に
君に僕も見つけてもらったんだな
会ったことはないかもしれない。
話したこともないかもしれない。
それでも、君に僕を見つけてもらいました。
本当に写真集おめでとう、菜緒ちゃん!!
俺は自分のことのように嬉しい!!
一億冊は出版させるつもりでいるから、覚悟しておいてください!!
今までも、そしてこれからもありがとう!!!
いや臭すぎるオチ!!!!