てんさいのwikipedia(中学生編)

まず人見知りというか女の子が少し苦手になった話。
これは班行動をする時に起こった。
班で確か何かを作るみたいな時間だった。
俺以外の皆は自然とここを担当するみたいな感じで手を動かしていた。
俺は何をしたらいいかあたふたしていた。
なので、班長だった女の子に聞いた。
「俺何したらいい?」
すると、女の子は冷たい目で
「それくらい自分で考えろよ」
と少し低い声で返された。
そんなことを言われるとこちらとしてもごめんとしか言えずに、余計に縮こまってしまった。
その一言があってから、初対面の女の子にはビビって話しかけられない。
女の子は好きなのに(言い方)
最近の研究では、てんさいの人見知りは改善されつつもあるらしい。
諸説あるが、てんさいの母は人見知りと思ったことはないとのこと。



実は部活は小6の部活体験の頃から決まっていた。
その体験で友達のFたちとバレー部を選んだ。
理由はマンションが同じの先輩がいるからだった。
特にバレーにこだわりはなかったが、いざやってみると楽しかった。
腕はかなり痛かったけど。
そういうこともあってか、中学時代はバレーボールをやった。
当時から身長が高めだった俺は1年生からスタメンになっていた。
だが、その頃はあまりバレーに対する熱意がさほどなかった時期だったので練習をサボったりした時もあった。
でも、そんな状況を変えたのが週刊少年ジャンプで今や人気作の「ハイキュー!!」だった。
今となっては言わずと知れている漫画だが、当時はあまり知られていなかった。
だが、バレー漫画というのもあって読んでみると面白かった。
すぐ影響を受けるタチなのでバレー自体にもやりがいを感じるようになった。
変人速攻とか見様見真似でやった。
できる訳がなかったけど。
先輩が引退してから、俺たちの代の年になった。
俺は副キャプテンに任命されて、エースにまでなっていた。
あんまり副キャプテンでエースになったからと言っても特に気にせずバレーをやっていた。
ちなみに友達のFはセッターになった。
Fも1年生からスタメンを張ってて、セッターの対角であるライトをやっていた。
そんなトントン拍子で決まる中、なんとうちの中学が地区大会で優勝した。
展開が早すぎた。でもあの時は楽しかった。
決まった瞬間にキャプテンと号泣した。
だが、その喜びも束の間、うちの中学は前半期の調子はいいが、後半気になって調子に乗り負けるというジンクスがあった。
見事に、調子に乗って負けてしまった。
それでもあの時間は忘れられない思い出になった。



給食がありえないくらいマズかった。
というのも、汁物以外は全部冷たかった。
恐らく食中毒予防なのだろうが、冷たいハンバーグ、冷たいスパゲティなどを食べても誰も美味しいとは言わなかった。
美味しいを言わないどころか、一口も食べない人までいた。
不味いという度に俺は小学校の美味しくて温かい給食の残影を思い浮かべては消し、思い浮かべては小学生を恨んだ。
ここは地下なのか?俺たちは知らずのうちに地下労働をさせられているのか?
そんな気分になった。
先生からペリカが支給されるんじゃないかと授業中も怖くなった。


本当の雑記になってきました。
最近ネタが無さすぎるてんさいでした。